98年秋から放映された、ガイナックス制作のテレビアニメ「彼氏彼女の事情」を見て、このような感想を抱いた読者の皆さんも多いのではなかろうか?
「…たたみかけるようなテンポ、過剰なまでのセリフ、ギャグとシリアスの融合、フレッシュなキャスティング。…まるで、まるでガイナ版『こどものおもちゃ』じゃないか!!」 ここに予言しよう。二十年先、いや十年先の日本アニメーション史研究書にはこう書かれているであろう。
「90年代とは、大地丙太郎監督の時代であった」と。
なるほど、表面的に90年代を風靡したアニメは「美少女戦士セーラームーン」であり、「新世紀エヴァンゲリオン」であり「もののけ姫」であり「ポケットモンスター」であるかもしれない。しかし今この本を読んでいるあなたが、アニメの真髄を見抜く「通の目」を持っているのであれば、大地丙太郎こそが、80年代までの「ある意味パターンに陥っていた」アニメーションの演出技法を、その斬新な感覚で大胆に改革していった功労者である、という私の意見に賛同してくれることと思う。
大地丙太郎が演出家として活躍しはじめたのは、91年の「おぼっちゃまくん」や「どろろんぱっ!」あたりからだが、一部の「通」のアニメファンに注目されるきっかけとなったのは、94年「赤ずきんチャチャ」で「登場人物がやたらと歌ってミュージカルする」「キャラのセリフが大胆にかぶって、音声が二重三重になる」という技法が成功したことからであろう。これこそ作品のテンションを一気に上昇させる大地演出の第一の特徴である。
さて、この「赤ずきんチャチャ」まではギャグ演出家のイメージが強かった大地だが、翌年、初のシリーズ監督作品「ナースエンジェルりりかSOS」では、一転して少女の日常を丹念に描いたり、最終回に向けてドラマのうねりと感動を一気に収束させたりといった、シリアスでウエットな部分もこなせる懐の深さを見せ、ファンを驚嘆させる。
そして96年、ハイスピードのギャグアクションと、重くシリアスなドラマ部分といった、通常なら矛盾する二つの要素が破綻することなく融合した傑作「こどものおもちゃ」が誕生する。ことに「小6編」ラストで、主人公・倉田沙南が実の父親「たけちゃん」と再会、死別するシリーズは、原作には無い大地オリジナル部分であり、完成度の高さとあいまって、スレた大人のアニメファンですら涙する感動モノの逸品であった。
このあたりで、キャラクターに「まさかそんな!」とか「○○のためにがんばるぞ!」といった「アニメ独特の類型セリフ」は決して使わない、セリフは必ずキャラの心情の露呈であり血の通ったものを、という大地演出第二の特徴が明確になってくる。さらにキャスティングに関しても、パターン演技のアイドル声優よりも「たとえ最初は未熟でも、役になりきってくれる人間を起用する」という大地のこだわりが、沙南役の小田静江や、ばびっとの引田とも子らに結実する。
だが驚くべきことに、大地は「こどちゃ」での演出技法の一応の完成に、決して満足したわけではないようで、98年の「すごいよ!!マサルさん!!」ではアドリブやバラエティ感覚の導入。同年の「おじゃる丸」では得意技のハイスピード演出を自ら封印し、わざとスローな「まったり感」を貫くなど、その後も常に新たな地平を目指し続けているのだ。
そして最新作「十兵衛ちゃん・ラブリー眼帯の秘密」は、原作漫画の存在しない、初の大地丙太郎オリジナル作品だが、なんと「こどちゃ」「マサルさん」「りりか」といった過去作品のテイストが「これでもか!」と言わんばかりに詰め込まれており、まさに90年代最後の年にふさわしい「大地ワールド」の集大成であった。ここではハイテンポの「こどちゃ」「マサル」と、スローな「りりか」「おじゃる」までが、無理なく融合していたのだ。
さて20世紀最後の年、2000年には、大地丙太郎はいったいどんな新作で我々を驚かせてくれるのであろうか? 期待しよう。
(文中敬称略)