79年4月
大阪、港高校の有志の手によって、SF及びアニメーションのファンサークルとして設立。
創立メンバー/会長:平田政行、副会長:つるみたけし、会計:長本直樹
尾形博文、山下正雄
79年11月
太田宏一朗、同じく大阪にて「いしいひさいちFC仲野荘」を設立。
80年8月
会誌「GREIF Vol.1」発行
80年9月
ナニワ区民センターで開催された同人誌即売会「第1回ビブリオテーク・ファンダム」にて、太田の「仲野荘」と偶然スペースが隣だったことから意気統合。以後、WARMACHINEと仲野荘は協力関係に。
81年1月
「GRIEF VOL.2」発行
(特集:ルパンV世・機動戦士ガンダム)
81年3月
「GRIEF VOL.3」発行
(特集:伝説巨神イデオン)
81年6月
「GRIEF VOL.4」発行
(小説「アンドロイド・クラリス」掲載)
この間に、小西規勝、田中賢治、岩佐光夫、太田宏一朗がWARMACHINEのメンバーに加わる。
82年2月
「GREIF VOL.5・6・7合併号」発行
(特集:「うる星やつら」)
この号をもって正会誌GREIFは休刊となる。
82年8月
太田、田中を中心にWARMACHINEの下部団体として、アニメ「魔法のプリンセス・ミンキーモモ」のファンクラブ、「私設ミンキーモモ後援会」を設立。太田は「みんだ☆なお」のペンネームを使い始める。
後援会会誌「激走グルメポッポ VOL.1」発行
83年1月
「激走グルメポッポ VOL.2」発行
83年4月
「激走グルメポッポ VOL.3」発行
83年5月
「私設ミンキーモモ後援会」の活動の活発化に伴い、WMの編集作業・通販事務・会計を太田の所で一本化する事になる。
太田宏一朗、WARMACHINE代表に就任。
「いしいひさいちFC仲野荘」の活動終了。
「マグナ=カルタ -大懸賞- VOL.1」発行
(創作漫画誌。1号きりで終了)
83年6月
「激走グルメポッポ VOL.4」発行
83年11月
「激グル増刊・独走グルメポッポ」発行
83年12月
「激走グルメポッポ VOL.5」発行
太田(みんだ☆なお)「まんがアニメック」で商業誌デビュー。
84年7月
「激グルVOL.6/最強最後の激走グルメポッポ」発行
これをもって私設ミンキーモモ後援会の活動終了。
84年10月
「みんだ☆なお作品集/がんばれ!! ミンキーモモ!!」発行
(「激グル」他に掲載されたアニパロ4コマを完全収録)
85年2月
「マキちゃんBOOK・赤ラベル」発行
(アニメ「銀河漂流バイファム」のキャラクター、マキ・ローウェルのファンジン)
85年8月
「つるみたけし作品集/やるきがないから水のんだ」発行
(WMメンバー・つるみたけしが今までに会誌他に書いた小説等を収録)
「芦田豊雄画集」発行
(芦田氏が飲み会などで描き散らした怪しい絵を収録した画集)
86年6月
「真鍋譲治スペシャル/初期未発表作品集」発行
(漫画家・真鍋譲治がデビュー前に描き溜めていた原稿を収録。その後「パワフルまぜごはん」のタイトルで後に商業誌化された)
86年7月
「けい-もと作品集/GO−TEN−BA」発行
(同人誌作家・けい-もとの作品集。けい-もとは後に本名の「河本ひろし」でプロ漫画家として活躍)
この頃を最後に太田以外のメンバーは同人誌活動から離れる。
以後、協力メンバー(即売会での売り子や編集協力)は多数存在するが、正式メンバーの新加入は無し。
太田の個人団体としてのカラーが強くなる。
87年3月
「ザ・武道館」発行
(岡山で開催された同人誌即売会「ぶちすげぇリングオン」の赤字救済本。真鍋・みんだによるアニメ版「アウトランダーズ」の悪口対談や赤井孝美インタビューなど貴重な記事多し)
87年11月
「COMPLETE CRAZY CATS CLUB」発行
(クレージーキャッツのファンジン。編集・高雄ながむ)
88年7月
「ぴちけつ作品集」発行
(月刊OUTの常連投稿者、ぴちけつの漫画集。翌年の「人生冗談・裏本」の予告本)
88年9月
太田、埼玉県所沢市に転居。自動的にWMの連絡先も大阪から埼玉に変更。
89年6月
「芦田豊雄の人生冗談・裏本」発行
(月刊OUTに85年8月から2年半に渡って連載された名物コーナーをまとめた物。一番編集に手間のかかった大作本)
89年11月
創立10周年記念として、パソコン通信のホスト局「WARMACHINE−NET」を開局。